4月5日は、
2020年7月に亡くなった
三浦春馬さんのお誕生日でした。
三浦春馬さんが亡くなって
8か月以上が経ちますが、
依然として春馬さんへの注目は続いています。
4月5日の映画館は、
春馬さんの最後の主演映画「天外者」を
観る人で溢れかえってました。
春馬さんの子ども時代の主演作「森の学校」や、
春馬さんが出演したことで話題性のある「ブレイブ」を
天外者と併せて観る人も多かったようです。
また、この日のTOHOシネマズ日本橋では、
春馬ファンが多く詰めかけることを見越してか、
様々な対応がされていました。
まず、森の学校と天外者、ブレイブは
同じスクリーンで鑑賞するようになっていて、
映画館スタッフが1作品終わるごとに、
一度外に出て次の作品を観るよう
案内しに来ていました。
驚いたのは、
上映中の大型ポスターが廊下にずらりと
掲載されていたのですが、
映画館側も天外者とブレイブだけを
通行の邪魔にならない場所に
並べて掲載していたのです。
そして、その2つのポスターの前には、
写真撮影の場所を示すテープが
貼られていました。
その2つのポスターの前だけ、
写真撮影する人の長蛇の列ができていて、
映画館スタッフが2名ほど
誘導係として対応し、
2列に並ぶようにと言っていた。
ポスター前に2列の長蛇の列って、
この日いかに春馬ファンの来場が
多かったかが分かります。
天外者の上映開始前も、
ホールは天外者を観に来たらしき人で
溢れかえっていて、
入場を待つ長蛇の列ができていました。
天外者を観終わった時には、
2度ほど自然に拍手が起こりましたが、
一人の女性が立ち上がり
「今日は春馬さんのお誕生日なので、
もう一度拍手しませんか?」と言うと、
再度拍手が起こりました。
その女性は、森の学校の上映後も
同じように行動されていました。
勇気のある行動だと思います。
天外者の上映中も、
すすり泣く声が聞こえていましたが、
上映後も廊下に出るとあちらこちらで涙をぬぐったり、
鼻をかんでいる人をたくさん見かけました。
天外者上映スクリーン付近のトイレは、
長蛇の列でした。
どれほど沢山の人が天外者を
鑑賞したのかと、
改めて思いました。
この日は街中でも、
春馬さん追悼の電光掲示板が、
様々な所で目撃されていました。
また、書店員が
「春馬の本は出版社でも品切れだ」
と言っているのも聞きました。
春馬さんは生前から人気がありましたが、
死後にどんどんファンが増えています。
春馬さんのファンは、
子どもから高齢者まで幅広く、
女性だけでなく男性にもファンが多いです。
それは、単なるイケメンだ
と思っていた人たちが、
春馬さんの死後に人間性の素晴らしさを
知ったことが大きいようです。
そして春馬さんの死については、
不審点があまりにも多く、
再捜査の嘆願書などが
警察や検察などにたくさん送られています。
春馬さんが居なくなって淋しい気持ちと、
不審点を解明したい気持ちなどが相まって、
SNS上では春馬さんに関する投稿が
未だに毎日たくさん続いています。
昨年の春馬さん30歳のお誕生日では、
所属事務所の対応が冷たく、
淋しいお誕生日だったと
春馬ファンは気にしていました。
そんなこともあり、
今年の4月5日は
ご本人は居ないけれど、
皆で誕生日を盛大に祝いたいと
考える人が多かったです。
ツイッターでは、
春馬さんへのお誕生日おめでとう
メッセージで溢れていました。
ファンが盛り立てたいと
一日中必死で投稿していて、
その数は何万件にもなりました。
ツイッター社では、
春馬さんの投稿の多さを心配したのか、
投稿数を調整していたようで、
トレンドに表示されたのは
一時的ではありましたが…。
とはいえ4月5日のこの日は、
春馬さんフィーバーが
凄かったことは間違いありません。
4月5日の数日前から、
「三浦春馬生誕祭」という
ワードも飛び交っていました。
一方でsocialfillは
【三浦春馬「おめでとうは嫌味」自死した人の誕生日祝うのはどうなの、の声】
のタイトルで下記の記事を配信しました。
「逆に嫌味にしか聞こえん」
「三浦さんはすでに亡くなっていますからね。
『生きてることが辛かった奴に誕生日おめでとうとか逆に嫌味にしか聞こえん』
『「おめでとう」って何がめでたいのか教えてくれる』
『例えば自分の身内が自殺したとしてその誕生日におめでとうもLINEが来たらどんな気持ちだ』
『気持ちはわかるが自殺した人に生まれてきてくれてありがとうって悲し過ぎる』
など、否定的な意見も決して少なくありません。」
この記事は、
春馬ファンの気持ちを傷つけ、
この記事への批判も多かったです。
そこで亡くなった方への
気持ちの持ちようについて、
改めて考えてみました。
まず押さえておきたい定義があります。
「誕生祭」は現在存在する人物の
生まれた日や物事の始まった日などに使い、
「生誕祭」は現在存在しない人物の
過去の功績を伝える意味合いも含めて、
その人がこの世に出現したことに敬意を表す日
という意味で使われている言葉です。
昔から芸術家などの生誕祭が、
長きにわたって行われてきたことが納得できますね。
三浦春馬さんも、
国内外を問わず高い評価を受けてきました。
ファンが、春馬さんの功績を伝えたい
と思うのは自然なことです。
また、春馬さんの人間性から、
幅広い年齢の方が
春馬さんを尊敬しています。
春馬さんより年上の人達も
尊敬すると投稿しているものを
沢山見ます。
そういったことからすれば、
春馬さんの生誕祭を
ファンが祝い、
淋しい気持ちを静めるというのは、
人間的なことだと思います。
また、身近な人が亡くなると、
法事などを行う習慣が
少なくとも日本では続いています。
人の死というのは、
物や機械が壊れたり
無くなったりするのとは違います。
物が無くなれば、
そこで諦めることができるでしょう。
でも、身近な人や大切な人、
家族同様のペットなどの死は、
亡くなったからといって
すぐに気持ちの切り替えはできない
のが人の感情だと思います。
だから、昔から様々なイベントなどで、
死者を想いながら
時が気持ちを徐々に癒してくれるのを
待っているのだと思います。
そういった段階を経ずに、
すぐ諦めろと言われてしまうと、
心に変調をきたす恐れもあると思います。
それは、身近な人達の死と
周囲の人達の様子を見てきて、
そう思います。
だから、
socialfillのこの記事を書いた人は、
これまでに身近な人の死を
経験したことがないのかもしれません。
人の気持ちというのは、
そんなにクールなものではないと思います。